パイロットを目指す日本人のための航空メディア

Pilot's;Gate(パイロッツゲート)

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エアラインパイロットを目指すことに興味が無くなったけど、とりあえずカナダ留学に来た話




どうもこんにちわ。

「パイロットを目指す日本人のための航空メディア(2019年11月27日時点)」というサイトを立ち上げておきながら、エアラインパイロットへの興味を失ってしまったきゃぶ(@t_kyab)です。

これを読まれている方の中には、「ッ!!??」と思う方がいるかもしれません...
だってわざわざ1部上場のそこそこ大きい企業を辞めてまでカナダに来てるんですから。

でもね...

興味無くなったもんは無くなったからしょうがないじゃん(‪゚σA゚)‬ハナホジ

いや、昔はもちろんなりたかったんですよ。正直言うといまでも若干の未練はありますよ。でもね、その未練は過去の感情と周囲の期待で作り出されたただの執着じゃないかって思うようになったんです。

ていうかしんどい!
金銭的にも非現実的!
放り投げたい!

これが本音。

大学の卒業式の後、所属していた研究室の教授が学科の生徒全員にこんなことを言っていました。

「私からみなさんに伝えることはひとつです。幸せになってください。以上です。」

そりゃあ、ホール全体がどよめきますよね。何言ってるんだこの人は、と。ですけど、これ意外と真理なんじゃないかなぁといまになって思い始めてる自分がいるんですよ。

パイロットになりたい(と思い込んでた)一心で心を無にして興味のない前職を続けていましたが、ふとここ1年くらいである感情が沸き起こりました。

あれ、なんのために働いてるんだろ。全然幸せじゃない

気がついたら、あれだけ好きだった飛行機からも遠ざかってしまう始末。本当はあと1年働いてカナダへ渡航し、パイロットを目指すつもりでしたが、もう気力が続きませんでした。

そりゃそうですよ。やりたくもない仕事を住み続けたくもない場所で続けてるんですから。

過去を振り返ってみる

そもそも、唯一のモチベーションだったエアラインパイロット欲はなぜ消えてしまったのか。自己分析も兼ねて、少し自分の過去を振り返ってみようと思います。

小学校時代

TBSのテレビドラマ「Good Luck!」を見てパイロットに憧れる。

新海一(キムタク)かっこよかったぁ。香田キャプテンも(堤真一)渋い。
ボーイング機が着陸する直前に対地高度をコールアウトするのを口で真似したり、飛行機のゲームをやり始めたりしたのもこの頃かな。

You have.
- I have.

なんて真似したりね笑

いま考えたら一般動詞のhaveって他動詞だからhaveの後ろに目的語が来ないのすごくおかしいんですけどね。正しくは

You have control.
- I have control.

中学校時代

パイロットになりたいから英語をがんばる。

特に言うことはないかな。

高校時代

パイロットになりたいから英語以外もがんばる。

地域で1番の高校に進学できた。途中調子こいて髪を茶色に染めたら登校のときに

先生「お前パイロットになりたいからって、英語話せなきゃ行けないからって茶髪にしても何も変わらないぞぉ〜」

って謎の注意を受けた。大学受験は失敗して1年浪人した。

大学時代

パイロットになりたいから航空部に入る。

鳥人間じゃないよ!こういうやつ。

時速100km/hで飛ぶし、操縦方法も飛行機と同じ。

と、ここで大きな変化。航空部で実際に自分がパイロットの資格を取ろうとしたり、パイロットになった先輩達を見ていたらパイロットが夢で無くなってしまった

どうしてなのか、未だにわからない。とりあえずパイロット自社養成を受けるけど落ちる。当時は青しかなかったなぁ。そんな気持ちだから、当然航空大学校も受験しない。周りに色々聞かれて、めんどくさかったから「学費が払えない」なんて嘘をついたり。

就職活動の時期には、完全に自分が学んできた機械工学の分野で仕事を探していた。第1志望の青社自社養成パイロットに落ちたという(うわべの)気持ちがあるから、就活自体は投げやりだったように思う。

本当に合理主義。航空輸送分野には見向きもしなかった。

そんなこんなでそこそこ大手の完成車メーカーで働くことになった。でも、なぜかモヤモヤだけが残る。航空部でグライダーで飛ぶことは変わらず大好き。そんな思いで、グライダーの操縦教育証明を取得した。

メーカー社員初期

入れた業界で頑張ろうと決意する。

同期とも仲良くやれてそこそこ楽しかったなぁ。この時期はパイロットになりたいとか考えなかったように思う。

メーカー社員中期

工場実習で合計11ヶ月間車の部品を作る。

1度工場に入ったら窓もない閉鎖空間で、自分が何をやらされているかわからなかった。ひたすら製品を作る。

「人手不足だから応援で期間延長」

なんて言われたけど、いざ現場に入ってみると

「え、そうなの!?...どこの作業をやってもらおうかな」

なんて言われる始末。もうね、現場と本社の意思疎通が全く出来ていない。コミュニケーションが取れていないどころか、お互いにいがみ合っている。

このころ、再びパイロットになることを決意。英語の勉強を再開する。赤社が復活したので自社養成パイロットも受験した。落ちたけど。

メーカー社員後期

ヤバい部署に配属される。

朝は7:30出勤、夜は22:00に帰れたらめっちゃ早い。本社と工場が車内バスで2時間かかるから、その間は勤務時間外。つまり、時間的に拘束されるけど無給ってこと。
朝の7:00にバスが出るから、人によっては6時起き。これもよくできてて、就業開し(ry

とまあ話し始めたらキリがない。別記事に掲載かな。

こんな中、絶対にこの環境を抜け出してやると意気込んで始めたのがカナダ・バンクーバーへ分割渡航しての陸上単発機の操縦訓練

これがまあしんどかった。いろいろ話したいけど長くなるからこれも別記事かな。

いま考えると、この分割渡航が1番まずかったと思う。

分割渡航するまでは「カナダ行きたい」「飛びたい」「パイロットになりたい」だったんだけれども、いつしか

「カナダ行かなきゃ」
「飛ばなきゃ」
「パイロットにならなきゃ」

と、「やりたい」が「義務」に変わってしまったんだと思う。

「〜しなきゃ」と思うほどに、辛くなる。あれだけ情熱があったのに、いまでは面影を感じられないほど。

パイロットになることだけがモチベーションだったので、この頃から仕事にも影響が出始めた。もともと業務内容に興味がなかったのも理由のひとつだけど、仕事のモチベーションがないって、すごくしんどい。

いずれその仕事を辞めて遠くカナダへ渡るつもりだったので深い人間関係を築くのを無意識に避けていたようで、お金のかかることを極端に避ける生活が続いた。当然、仕事のモチベーションにつながる趣味もできない。

そこに追い打ちをかけるように、職場内のいざこざに巻き込まれる。いろいろなしがらみに巻き込まれている自分がバカバカしくなり、気が付いたら退職願を出していた。

ポストメーカー社員

とりあえずカナダに来た。もともと準備してたから。でも、どうしても飛ぶ気になれなかったのでとりあえず語学学校に通うことにした

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過去の振り返りはこんな感じですかね。でも最後のところ、大事なのでもう一度言います。

とりあえず語学学校に通うことにしました!

ふう。。

これを言うのがすごく恥ずかしかったんです。だって日本にいる知人のほとんどは「がんばれ!」「すごい!」って言ってくれるから。

「パイロットになるためにカナダに渡ったのになんで語学学校!?」

こう言われることが目に見えています。

だけどね...

いまめちゃくそ楽しいんだけどなんか文句ある???( ゚σω゚)ハナホジ

帰りたくねー。楽しく空飛んで彼女でもつくろ!

航空の情報発信は続ける

ここまでずいぶんぶっちゃけてきましたが引き続き航空分野の情報発信は続けたいと思ってます。

飛行機の操縦は好きなので。

昔みたいな熱のこもった記事は書けないと思いますけどね。

もちろん、エアラインパイロットを再び目指す可能性もあります。カナダに来て、忘れていた感情が少しづつ湧き出て来るのを感じます。来年の夏には再びパイロット熱が復活するかもしれません。

ですが、いまはまだわかりません。流れに身を任せるということで。

ふう、すっきりした。それでは!







  • この記事を書いた人

きゃぶ

元自動車メーカー社員のゆとり世代。大学では航空部に所属し、航空大学校未受験、パイロット自社養成敗退。諸々の後悔から在学中に滑空機の操縦教育証明を取得するも、就職地が関西でほとんど飛べずに絶望。飛び足りないので2019年9月に5年勤めた会社を退職し、固定翼のライセンス取得のためカナダ・バンクーバーへ。

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